「悪口を言わない」でいると徳を積む

人の悪口は蜜の味がするものなのでしょうか。
お茶を飲みながら自分の妻や夫のことを「うちの奴はどうしようもないよ」「ダンナったら家にいるだけで本当に邪魔!」なんて言っています。

とくに悪意があるわけでなく、「他人に向かって堂々と自分の身内のことを褒めるのも何だかいやらしい」ので、謙遜の別の形として現れている場合もあります。
また、「ちょっと悪口を言ってストレス発散するだけよ。本気じゃないわ」という方もいますが、やはり悪口を言わないにこしたことはありません。

なぜなら、悪口からは建設的なことが何も生み出されないからです

日本は「言霊の国」ですから、ロにする言葉に十分注意を払わなければいけないと考えている人も多いのですが、私もこれはあながち間違っていないと思います。

言葉の中に、本当に古代の不思議な力が宿っているのかどうかは別にして、言葉と考え・意識はつながっているものです。

恋人に「愛している」と言う時、心の中から愛情をあふれさせながら、あらん限りの熱情を込めてささやくのではないでしょうか。

芝居でのセリフであっても、自分の中にある愛の気持ちを探りあてながら、そのセリフに感情を乗せるはすなのです。
恋愛経験のない俳優が演じたとしても、そこには情動が揺らめいているはずです。

激しく憎んでいる異性に、情熱的に愛情を口にすることができるでしょうか。
亡き恋人の復讐を遂げるために、仇に偽りの愛をささやくなどというシチュエーションだったら、憎しみのこもった正反対の意味の「愛している」を言えるかもしれません(そんな特殊な状況は普通に暮らしていたらまず経験しないでしょうね)。
それにしたって、自分の中に「嘘をついた」「目的遂行のために必要なことだ」という強烈な自己正当化の変換がなされなければできるものではありません。

つまり、ほとんどの場合、感情や情動というものは言葉によって意識され、引きずられていくものなのです。
だから、いくら「他意がない」と言っても悪口を言えば意識がそちらのほうに向いてしまう。
これは大変良くないことです

悪口に限らす、人間は意外にマイナスの意味を持って言葉を発しているもの。

悪口を言わないようにするだけでも、意識や感情が悪意に振り回されない状況を作り出す。

それこそが「徳を積む」ことにつながるのです。

出来事すべてに理由がある