どんなにえらくても同じ人間

私は神様を敬いますが、人間の場合はどんな人であっても同じ人間として対応します
ですから、偉い人にもズケズケものを言いますし、ホームレスのような人でもあっちに行け、などとむげにはしません。

私の父は政治家をはじめいろいろな人と親交があったので、私も若年の頃から父に連れられ、地位の高い方と会う機会がちよくちよくありました。

ある時、私は父に連れられて、鎌倉の光明寺で故・藤吉慈海師にお目にかかりました。
この方は浄土が大本山光明寺の宝主を務められた方で、父は京都帝国大学の先輩後輩というこで知遇を得ていました。

父からは「インドに行けば十万人もの民衆が慕ってくるような大変な方だから、変なことを言うなよ」と釘をさされていました。
普通の人とは10分もお会いにならないそうです。

実際にお目にかかってみると師は私を見て「これがご縁だね」とおっしゃいました。
そして対座した時、師は父に「息子さんですか」と聞かれるのです。

父は師に「そうです」と申し上げて、私には「この方は宗教家の大家で・・・」と説明しかけた時に、私は父の言葉を遮りました。
「先生、質問してもよろしいでしょうか?」
父は私をぐっと睨みましたが、私は構わず続けました。

「神様に近い方なら、なぜ糖尿病が治らないのですか」
と申し上げると、
「えつ、わかるの」
と驚いたような顔をなさいます。

「はい。それに先生、こんな難しい本を出版されても、誰も読まないんじゃないんですか」
遠慮なく私が言いたいことを申し上げると、師は
「カッカッカッ」
と高らかに笑っておられます。
「女性を知らずして、どうして女性のことを話せるのですか」

親父はもうやめてくれ、という顔をしていましたが、その時は気に入っていただけたのでしょうか、一時間半ほど談笑させていただのでした。

 

自分が知らずしてなぜそのことを語れるのか