ケガをしても感謝できる?

多くの人が言っていることではありますが、幸せになるコツは「すべてのことに感調する」、これに尽きるのではないかなと思います。

私などは相談に来た人が泣き出した時に、
「気がすむまで泣いてごらんよ。でもね、あなたには泣ける幸せがある。独裁者のいる国なんて、泣いて訴えることもできないんだよ」なんて言うこともあります。

思う存分泣ける、ということにも幸せの要素はあるのです。

以前、私はハワイに観光に行った時、真っ暗やみの中を溶岩の固まりで波うっているところを歩いたことがありました。
すると、足場の悪いところだったので転んでしまったのです。
その時は私も「あ~あ、ツイてない」と少しだけ考えたのですが、「ここでケガをしたためにこの後の災いが避けられたのかもしれない」と感謝することにしたのです。

「ケガしちゃってついてないなあ。ハワイなんかに来なきゃよかった」と思っても「ケガしたけどこれでいいんだな。きっとこのケガも意味あることなんだ」と受け止めてもケガした事実は変わらない。

だったら自分が少しでも楽になるような考え方をしたほうが辛くないのではないか。
私はそのように思うのです。

ちなみにこの時は、ホテルのスタッフや宿泊していた人たちが「大丈夫、痛くない?」と声をかけてくれて、何をするにもみんなが手助けしてくれました。
まるでみんなか私に「何ひとつやらせてはいけない」、と決心しているかのように、大勢の人から細やかな気遣いや励ましを注いでいただいて、とても嬉しかった記憶があります。

ケガをしていなかったらここまでの親切といたわりを受けることはなかったのではないかと思えるほど、手厚いもてなしでした。
これだけの親切や優しさを持っているハワイの人たちのメンタリテイに触れることができて、私は本当に有り難く思いました。

私自身に起こったことは、「ハワイでケガをした」という事実だけです。
もしそこでケガを厭う気持ちがあったなら、ハワイの人たちのあたたかい手助けを「うっとうしい」と思ったかもしれません。
彼らの親切に背を向けて、ひねくれて心を開かないまま、つまらない滞在になった可能性もあったと思います。

つまり、感謝するということは、自分に注がれた愛情や手助けに気づくということでもあるのです。

よく、自分一人で生きてきたような顏をしている人もいるけれど、生きていく上では誰もがみんな、たくさんの人々や自然から何らかの慈しみを受けているものなのです。

太陽の光、親の存在に感謝しよう