出来事すべてに理由がある

ある出来事と自分がでくわすのには理由があるものです。
しかし、それを合理的に説明できるわけではない。
望まないのに「なんでこんなことが起こったんだろう」という不条理なことが人生にはたくさんあります。
よく、「その出来事と自分自身が同調したために起こった」という言い方がなされます。
自分に起こることは自分で引き寄せているという意味です。

それはやはり、人間が肉体の器の中にある魂の存在だからなのです
地球上に生きるということは魂を磨き合うための修行の場なのです。

人はなかなかそのことを実感できないのでわかりません。
だから若い人は、恋愛で傷ついている人がとても多いのです。

今、流行している歌だったと思いますが、「人生の中の辛い出来事は、必ず意味がある。意味のない出来事などは起こらないはすだ」というようなことを歌っていますね。
これは輪廻転生のことなのではないかと私などは思っているのですが、本当にその通りだなと思います。
悲しい別れがあったとしても、それは次の素晴らしい出会いのためにも必要な学びなのです。
結果として別れてしまっても、例えお互いがケンカばかりしているような仲であっても、お互いを理解するため」にその時は必要なことだったのです。

歴史に「たら、れば」は禁物とよく言いますね。
「あの時、ああしていれば・・・」と悔やむことが誰にでも1つや2つはあるはすです。
でも、そのようにできなかったことも、その時の流れであって必然だったのです。

だから、自分を必要以上に資めてはいけない
その経験をしつかりと味わうこと、次のチャンスに活かすことを心掛けるべきであって、「できなかった過去の自分」を責めても、新しい何かが生み出されることはないのです。

恋愛や人との関係というのは奥深いものです。
同じ人と同じようにくっついたり別れたり(腐れ縁とか復縁)する人もいれば、同じ相手とまったくティストの違う恋愛をする人もいる。
相手をとっかえひっかえしていても同じパターンの恋愛にはまり続けている人もいる。

どれが悪くてどれが良いということはないのです。
その人に必要な修行の形があるだけなのです。

これは「ねたまない、そねまない」こととも関係があります。

一人ひとりなすべき修行が違うのですから、人のことは放っといて自分の道をただひたすらに進むべきなのです。

愛の掘削事業