あなたがもし、行き詰まってしまって、何をしてもどうしてもうまくいかなかったら、神社に行ってみてください。
このように申し上げると、「家が仏教徒だから」「私はキリスト教なので」、神社には行けません、 という人がいます。
しかし、どんな神社であれ「〇〇教の人は境内に入ってはいけない」などと禁しているところは1つもありません。
神社に行くのに宗教は関係ないのです。
例えあなたがどんな宗教を信じていたとしても、神社側が参拝する人を選別するなどということはあり得ないのです。
神様は私たちを差別しません。
「行けない」と思うのは人間の方の都合でしょう。
例えば、太陽を例に考えるとわかりやすいかもしれません。
大鷹のパワーはものすごくて、そのパワーは地球上のあまねくところに行き渡っています。
太陽は決して、「こいつはろくでもないやつ」だからなどと言ってエネルギーを出し惜しみしません。
「この国はけしからん」「 この民族はどうしょうもない」などと区分けたりもしないのです。
神社であってもそれは同じことです。
それでは何のために神社に行くのでしょうか。
1つ、 肝に銘しておいていただきたいのは、神社に行くのは神様におねだりに行くわけではないということです。
子どもが親にお小遣いをもらいに行くわけではないのです。
神様に何かをしてもらいに行くのではなくて、自らの運命の流れを変えるために神社に行く必要があるのです。
なぜなら神社はエネルギーの高い場所だからです。
中国では龍は神社の裏から来ると言われています。
神社はもともと聖地のような場所を選んで建立されていることが多く、 エネルギーの高い、パワーのある場所なのです。
つらい時や苦しい時は、その人のエネルギーが低下している時なので、神社のパワーを浴びて 、「行き詰まっている流れ」を変えるきっかけを作ることが大事なのです。
これは、「〇〇神社に行ったら必ずご利益がある」というような話ではあリません。
神社に無心でお参りして「心がすがすがしくなった」、「なんだか気持ちがいい」、「ホッとして気がすんだ」など、そんな気持ちを起こさせるきっかけ作りのために神社に行くのです。
「どうせ何をやってもだめだ」「神社に行って何になるっていうんだ」などと思って投げ出していて、どうして自分の運の流れを変えていくことができるでしょうか?
自分の運気の流れを変えるのは自分自身のカでなければならないのです。
神社に行くのはあくまできかけに過ざません。
人でも神様でも、自分以外のものに全面的に頼り過ぎてしまうとその人は自分の力を発揮できなくなってしまいます。
「自分で運を変えていくんだ」という気概を持って神社に行くなら、運気低迷という流れから脱出する思いもかけないチャンスに恵まれることだってあるのです。